もど記

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丸木夫妻は、一九八九年一月に起きた福島第二原発のポンプ破損事故を機に、東電の原発設備率から算出した二四パーセント分の電気料金支払いを拒否。送電を止められると自家発電で対抗した。
 「原発止めないと原発に殺される」。「原発で働く労働者や近くに住んでいる人たちの被害は目に見えているのです」。「チェルノブイリクラスの事故の時は日本列島、太平洋の島々、隣接する国々へと放射能はひろがって行きます」。
 当時、丸木敏の記した文章を読み返すと、二十年後の原発事故を予見したような記述が何度も目にとまる。「想定外」とは適当でない。想像力を広げて「想定」した人たちは、確かにいた。むしろ、核の脅威を予見し、その可視化を試みた芸術表現は、連綿と受け継がれてきたのだ。
非核芸術案内――核はどう描かれてきたか (岩波ブックレット) p.61 あとがきより)