もど記

はてなダイアリーとはてなハイクの後継

  • 笑いながら話す人
  • 気持ちが壊れていく現場技術者

 原発関係で、特にバックエンドの問題に関わる人には、笑いながら話す人が多い。
放射性物質というのは」と声が高くなる。不謹慎というよりは、緊張感が滲み出ている。罪悪感も大いに持っている。そして、ややひきつって、笑みを浮かべる。
 私も、他の人も、何度か「こういう問題を話し合っているのに笑うというのは失礼じゃないか」と苦言を呈したこともあるが、彼らも精神的に参っているのだとわかるようになった。彼らは特殊法人などに高給で雇われている。だが、仕事の実体はない。ただ補助金が流れている。その異様な仕組みの中にいて、しかも危機的な現場で危機管理をしているわけでもない。
 恐ろしいことだ。最終処分というバックエンドの分野には、国民の大多数が一切タッチできない仕組みがある。その仕組みの中をお金だけが流れていく。まさに、屋上屋を重ねるムリとムダがそこにある。
 そこで彼らが心底悪い人で、そうした状況も楽しんでいるのならば、ただ憎み、排除すべく努力すればよい。ところが実際には問題はやや複雑だ。彼らは、少なくとも現場に近い担当者は、普通の人たちなのだ。
 メーカーや電力会社から、場合によっては役所から出向してきて、心のどこかでは「これでいいのかな?」と思いながら、理事となって毎年1000万円を超える給料をもらっている。普通の人たちだから、だんだんと気持ちが壊れていく。そんな状態で原発に意義を唱える者がやってきて、がんがんと詰め寄られる。冷静を保つために、薄笑いを浮かべて対応するしかないということなのだろう。

 地層処分の実験場として、北海道の幌延と、岐阜県瑞浪に300メートルの竪穴が掘られている。私は、瑞浪の実験場に視察に行き、下まで潜ったが、そこで説明をしてくれた人も笑いながらの説明だった。とてもつらい気持ちになった。
 茨城県の東海原子力村で、使用済燃料を処理する工程を視察したこともある。放射能を通さないといわれるガラス張りの向こうに4メートルほどの使用済燃料棒が並べてある。それをロボットアームで、たぶん十数センチ程度の長さにチョキチョキ切っていく。ハサミで切るのだ。それを渡河して、遠心分離器にかけてわずかな量のプルトニウムとウランを分離して、残りは捨てるという作業を行っている。その際に、切った棒を硝酸で洗う。不純物を除去するためだ。
 この洗った硝酸はどこに行くのかと聞くと、それまでニコニコ笑っていた担当者がキッと振り返って、「ちゃんとこの下にタンクがあります!」と強めに答える。聞いてはいけないことだったかな、と思った。そこでさらに、「そのタンクの材質は何ですか」と聞くと、「ステンレス」だと答える。ステンレスの種類を聞くと、「SUS304」だと答える。
「確かに、SUS304は硝酸には強いけど、それは常温の場合で、温度が上がると危ないんじゃないですか」
 と問いかけると、声はさらに強くなって、
「そんなことありません。大丈夫です! ちゃんと温度管理をしていますから!」
と言いだした。笑っていなかった。
 つまり彼らは、実は極度の緊張の中にいると思う。普段は笑ってごまかしているが、急所を突かれるとパニックになる。
 エンジニアや科学者であっても、こんな状態では精神的に辛いだろうと思う。それは日本にとって大きな損失だ。彼らにはもっと夢のある、それこそ地熱発電再生可能エネルギーや人工光合成などの技術領域を研究してもらえば、きっと飛躍的な発展が望めるはずなのだ。
 原発推進派の議員などは、きっとそうした現場の異常さを知らないか、あるいは気づかないのだろう。だから、「原発を止めるというのは人類の敗北だ」などという発言を平気でするのだと思った。
なぜ少数派に政治が動かされるのか? (ディスカヴァー携書) p.47-50)