もど記

はてなダイアリーとはてなハイクの後継

仮面ライダードライブ最終話感想

事実上の最終回から1週間、日々雲のように湧き上がる考えがあって、それが消えない。
大筋としての着地点は、うまくいったと思えるものだった。刑事モノとしてまっとうできたと思うし、ロイミュードに関しての決着のつけかたも納得できる。主人公の台詞として語られるロイミュード事件とはなんだったのかということについての認識。ハートの慟哭ともいえる叫び。クリムの決意。
私個人としては、終盤胸が痛んだのは何と言っても剛(マッハ)のことだった。これについてははてなハイクにも書いたけれども、クリムとハーレー博士という、あの世界を代表する大人によって、剛には救いの手が伸ばされているということをはっきり示してもらえたことに、私は大変満足している。

そんな中でただひとつ、引っ掛かってけっつまずいているのが、剛の台詞からチェイスを甦らせようという意志がみえたというところである。
それ、ええ話みたいになっとるけど、それでええんか? ということ。
主に子どもを対象とした物語として、「よきものを届けるSF」というのがあのような番組に対する私の認識だ。どのような特撮番組でも、そのことを考えて作られているのではないだろうか、それがどの程度成功するかということはまた別として。
その面から考えて、あれでいいのだろうかと思っている。
役者さんたちは納得したのか、ということも、もし可能なら知りたいところである。
きちんと収めて畳まれた物語の大団円から、あれだけがはみ出している。私はそれをうまく胸におさめきれないと同時に、とても悲しいと思っている。
その理由には今思いつくだけでも幾つかの要素がある。

チェイスは死んだ。人間のように。そのチェイスを修復するということは、彼がやはり機械であったと認識し扱うことにはならないのか。それは彼の望むことか。あなたたちの望むことか。
チェイス「だけ」を甦らせるということ。
・クリムの意志(遺志)に反するということの重さ。
・社会に対する責任。事件の張本人の息子がそれを試みることの、社会の側から見た時の危険さ。
・父親と同じことをしてるんじゃないのかという疑念が常に苦悩をもたらし続けるんじゃないのか。
・剛よお前それで本当に幸せか?

剛の動機については語られてないが(語らずともわかるだろうというのが制作者の立場だろうか)、一言でまとめてしまうなら「エゴ」ということで間違いないと思っている。本人もそれを十分に自覚していると想像できる。「エゴ」が悪いわけではないが、それを動機に何かを成すつもりなら、葛藤がなければならない。
それはもうね、若い男の子を心配するおばちゃんの立場に完全に立ってしまうのならやね、「ええよええよ、あんた今まで人のことばっかりで自分のこと全く抑圧してたやん、それくらいのエゴ通したったらええよ」という気持ちもありますよ。
ほいでね、幸せになってほしいやん。あんなに大変な思いしたんだから。全部終わったら自分の幸せ追求したらええやん。
彼はずっと縛られてきた、それが自分の意思であったとしても。身を切る思いでそれらを断ち切った。やっと軛から解放された。それなのに。また自ら何かに囚われ続ける道を選ぶのか。
厄介だと思うのは、それは苦しいだけではなくおそらく甘美なものでもあるだろうということだ。心を奪われ続けていればそこから離れられなくなるだろう。

剛の後悔。それを思うと胸が塞がれる。最後の最後にこんな試練が残されるなんて。なんて残酷な。だが時間をかけて乗り越えていくしかない、人の死とは誰にとってもそういうものだから。
彼がその後悔に耐えられずにチェイスの復活を望んでいるのか、それだけではなく良くも悪くも何か積極的な思いがあるのか、そのあたりも気にかかるところなのだ。

少なくとも葛藤を描くべきなのだと思う。
葛藤してないはずはないだろうが、それを描くには全く尺が足りないだろう。もしそこをきちんとみせるとしたら、もう一本別の番組が必要で、それは子ども番組の枠におさまらないだろう。

まあそんなことをね、ぐじぐじとうちのひとにくっちゃべってたらね。
「まあ、(復活は)簡単やないやろ。簡単やないって、実現が難しいってわかってて言うてるんとちゃうんか?」
て言われましてね。いやあさすがやわあかっちょええわあって思ったよね。