もど記

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詩島剛について語っておきたい件(もしくは「仮面ライダーはいかにして仮面ライダーになるか」)

そうね、そろそろ詩島剛の魅力について語っておいたほうがいい。
あの人のいいところは、絶望の縁に立ってぎりぎりのところで向こう側に落ちていかないところです。「淵」ではないです「縁」。漢字間違ってないです。きわっきわのへりに立って深い淵を覗きこんでいるが、血反吐はいてなおそこに落ちず踏ん張っている。それがあの人の魅力。

仮面ライダーシリーズの全てをみているわけではないが私が知る範囲では、その多くに共通するのは主人公がどこかしら闇をはらんでいるところであり(例外もあるのは承知しているが)、それは初代が改造人間であるということに発端があるんだろうと認識している。そしてこれが長い間多くの人々を惹きつけている要因のひとつなのではないだろうか。


仮面ライダードライブ』には「刑事モノ」という大きな軸、柱があった。それをばしっと支えるためなのだろうか、主人公にはあまり闇を抱えさせなかった。
父親の死に関する謎といったシリアスなテーマもあったが、それですら個人の感情に焦点があるのではなく、父親であると同時に「刑事の先輩であり(おそらく)主人公がその職業を選ぶにあたって動機になり目標とした警察官」の死にまつわる事件を解明していくという形とみえた。つまり、職業人として職務を全うしていこうとするなかで直面する困難や障害を乗り越えて成長していくという、全編を通じて積み重ねられていった様々なモチーフの中のひとつとみえた。個人的な事情と思えるこの件さえも、刑事モノの王道の枠にかっちりとはまった中で描かれていたと思う。
そのように事件をひとつひとつ解決しながら、物語の中で彼は警察官として成長していく。個人よりは職業を主軸にたてている、そういう物語なんだと思った。
そういう物語の性質上、主人公は大筋の正義や大義というものに対してはあまり葛藤を抱えずに済んだのではないだろうか。葛藤が描かれるときは主に、組織に身を置くがゆえのジレンマとか、組織内の暗部とか、やはり刑事モノっぽいテーマだったように思う。*1
その辺が、仮面ライダーシリーズとしては闇が少ない主人公に仕上がった要因だと考えている。


その分、闇の部分をほぼほぼ全部マッハ/詩島剛におっかぶせていた。それはもういくらなんでも理不尽なんじゃねぇかと思ってしまうくらいに。
ストーリー上の設定として宿命的にそうなっている部分もあるし、本人の資質としてそう「なりにいっている」ころもあるんだろうなというふうに見えた(なぜなら同じ境遇であるはずの姉の詩島霧子はそうではないからだ)。
(余談だが、詩島剛の闇を照射する鏡としての存在がチェイスという面もあるかな、思っている)


加えて役者がすごかった。あれはもう役と役者の奇跡の邂逅であるといってもよかろうもん。あれは多分どこかで役と自分の境界が溶解してきてたんだろう。それがみているこちらへも侵食?浸食?してくるのだ。俳優の仕事の経歴の中においては、頻度は人それぞれながらそういうことがままあって、それを偶々目撃することになると我々はおおいに揺さぶられることになる。それがその俳優や作品にとっていいことなのかそうでないのかは場合によりけりなんだとは思うけれども。


刑事モノであり(バイクではなく)四輪に乗る異例の仮面ライダーとして鳴り物入りの登場であった『仮面ライダードライブ』という物語は、仮面ライダーシリーズであるためにマッハ/詩島剛を必要とした。
また、平成ライダーシリーズには多種類のライダーが登場する作品がかなりある(それは共闘したり争いあったり関係性は様々)中で、今作はメインのライダーが3人と比較的少ない方で、複数のキャラクターに分けて持たせることも可能な要素すら、ぎゅっとマッハにのっかっていた。
その重責に耐えうる役者が配置された。
まあそれが、私の乱暴な解釈。


仮面ライダーシリーズの主人公の多くは、度々「なぜ他ならぬ自分がこの敵と戦わなければならないのか」という疑問に直面させられる。なぜ自分が変身するのか、なぜ自分が選ばれたのか。それは宿命的な理由によって外部から強制的に定められていることが多い。どこかしら納得がいかないところがあったりして、葛藤し揺れ動く様子をみて視聴者は感情移入することが多いのではないだろうか。そしてそれを受け入れていく過程も物語の醍醐味である。
先述したように、今作の主人公は自分の意思で警察官になり、職業として捜査をしており、その過程で戦っている。あくまでも市民を守ることが目的なのだ。彼には大義名分がある。お決まりとして巻き込まれるようにして仮面ライダーにさせられてはいるのだが、自分の立場には納得していてあまり迷いはない。ものすごく高性能な装備を与えられて、自分だけがこれを使えるというのなら、真摯に職務を遂行しようとする、まっすぐでアツい人物だ。
だがそれだけでは、SF刑事ドラマではあっても、仮面ライダーの看板は背負えない。そういう挑戦的な企画があってもよいだろうが、今作はその道は選ばなかった。キャッチフレーズは「この男、刑事で仮面ライダー」である。ただしそれは主人公だけでは背負えなかったと私は思う。
自分では選びようがなかった宿命。本当の敵がなんなのかと揺らぐ葛藤。信じていたものが崩れる絶望。そういった「いかにも仮面ライダー」なテーマを一身に背負っていたのが2号ライダー、マッハ/詩島剛だった。
立場としては3号ライダーのチェイスも、強制的な改造・操作、裏切りなどという「らしい」要素を担わされている。ただ彼は機械生命体であるということでそれらの要素を純化して体現しており(それがかなしさであるのだが)、生々しい葛藤が殆どない。
引き裂かれて苦悩する役回りは、やはりほとんど剛だけなのだ。


放送の後半はもはや「詩島剛の地獄巡り」の様相を呈していて、そりゃあもう色々と過酷な出来事が彼の身に降りかかり続けるのだが、ひとつの事柄を例に挙げたいと思う。
仮面ライダーシリーズの敵には様々なタイプがある。外の世界からやってきた怪物的なものも。今作の敵は、最終的には人間であったと言っていいだろう。その発端の人間の息子であることが詩島剛に与えられた役割であった。
先述したように、同じ境遇である姉の霧子は事実を知っても剛とは違う受け止め方をしている。それはいくらか年上で大人であるということや、警察官という職業であることが影響しているのかもしれないが、全てひっくるめて言えば(例えきょうだいでも)人間の資質が違うということだと思う。同じ事象に対して同じ反応をするとは限らないという、当たり前のこと。ともかくそのあたりについては詳細な描写は番組の中では無かった(霧子に関しては他にも設定上矛盾するところがありいくつか疑問があるのだが、それはまた別の話で)。霧子は弟がそれをひとりで抱えて苦しんでいたこと自体には大変心を痛めていたようだったが、その重荷を同じように感じることはなかったのだ。つまり剛にとって唯一共感してもらえる可能性があった姉は、弟が苦しんでいることは理解してくれたが、苦しみの本質そのものに完全には共感はできなかったのだ。劇中の台詞として「これからは私にも背負わせて」というようなことを弟に対して言っており、そうしたい気持ちは十分にあるのだろうが、本当の意味ではそれは不可能なのではないだろうか。
剛は(蛮野が父親であるという)「事実」を姉の霧子に知られることを異常に強く恐れていた。それを姉が知ってしまったことだけでも打撃であったろうが、(劇中で描かれていないが)自分の想いに共感してもらうことが不可能だということこそがそれを上回る痛みではなかっただろうか。私の想像なのだが。だってあれだけ姉ちゃん大好き、姉ちゃんが全ての剛だよ。演じた俳優曰く「三度の飯より姉ちゃんが好き」な剛ですよ。でも一方でね、彼女が自分と同じ苦しみを味わうことがなかったことにほっとしてもいそうで。そのあたりがなんちゅうかキリキリくるよね、あの子ね。
ともかくだ。実際には彼の周りには主人公の泊進ノ介を始め、彼のことを心配して支えてくれている大人は何人もいた。特に進ノ介は共闘する仲間でもあり、剛が認める兄貴分でもあり、ある意味では姉の霧子以上に剛の心を理解するのに近いところにいただろう(父親の実像をハートに告げられてくずおれる剛に、彼が立ち上がることを信じていることを伝えたシーンなどは素晴らしかった)。そういう意味では彼は孤独ではなかった。しかし、彼を押しつぶしそうになっている闇を、想像を超えてしんから理解し共感し得る人間は結局誰もいなかった。*2
例えばそのあたりが、私が最も辛いところだと思っていることろの一つ。


そんなこんなで、理不尽に辛い目にあわされている剛であるが、しかし完全なる絶望には落ちていかないように見えていたのだ。これは子ども番組としてぎりぎりの線を保っていたとも言えるだろう。
そのように見えたことは幸いであった。
なぜなら。
あれだけの地獄巡りを見せられているからには、物語の終わりにはでっかいカタルシスが待ってるんだろうと期待するじゃないですか。これは子どもに夢を与える特撮番組なんですし。それが剛に限って全く無かった。
全てが終わった「戦後」に、もっとも彼に寄り添える可能性があったチェイスはよりにもよって彼を庇って「死んで」しまったわけだしな。


ストーリーとして救いが提示されなかった*3以上、残された希望は、彼個人の「素」の力で、いつかは新しい人生に向かって立ち上がって歩き出してくれるであろうという、予感だけである。彼にはそれだけの力があるのではないだろうかと思えるような人物像を、主に役者の力で作り上げていたと思う。だからそれが幸いであったと私は思うのだ。


以前書いたように、最後の最後にひっかかりが残ってはいるわけだけれど)

*1:最後の最後にロイミュードとは何かというところで大きな葛藤が生じるが

*2:劇中で唯一共感に近いことばをかけてきたのはハート様だけっていうところがまた…

*3:以前ハイクで書いたように、クリムとハーレー博士のセリフはよかったと思うが、あれは大人がちゃんと責任を果たそうとしてくれているという点で安心したということで、みている私の救いにはなったけど、剛を救うにはあれだけじゃあまりに非力だよね