もど記

はてなダイアリーとはてなハイクの後継

記憶の定着として俳句を書く

今日のはてなハイクは、俳句に関することをたくさん書いたので、検索しやすいように俳句タグを付けておこう。

ついでに、私がなぜ俳句を書こうと思ったかを、繰り返しになるし今後も何度も繰り返すと思うが、書き留める。
俳句を書くにあたって、私にとって最も大事なことは「記憶の定着」である。良し悪しよりそれが優先する。だから、日記句・月並句上等、と思っている。
それは突き詰めると、「老化にどうやって適応していくか」という課題なのである。

老化は日々じわじわと進み、記憶力の低下もそれにつれて、なのだが、ある時急にごっそり記憶が消えた実感があった。
この例えがぴったりくる。会社でも役所でも、文書の保存期間というのが決まっていますね。内容によって3年だったり5年だったり10年だったりするが、折々に段ボールごとごっそり廃棄したりしますわな。あんな感じで消却された感じ。
あるいは、図書館などで古くなったり版が更新された本などを「除籍」とハンコを押して処分(住民に無料で配布したり)することがありますね。あの「除籍」。あの感じ。記憶が「除籍」される感じ。

私にとって特にショックだったのは、こんなことは忘れるわけがないという特別な感情を伴った記憶さえ薄れていくのを実感したことだった。若い頃のまだ精神に弾力があった頃の記憶さえ、どんなに他のことを忘れてもそれだけは残ってきた記憶さえ、ある時急に「除籍」されてしまう。
ましてや、近年の中年期以降の記憶など、定着する間もなくすぐに薄れていってしまう。とても良い感情を伴う大切な経験であっても。

それがあるとき気づいたのですよ。その時たまたま俳句を作っていて、それがあれば記憶が呼び戻せることがあるということに。
人によってはそれが写真なのかもしれない、私も写真を撮ることもある、ただそれ以上に俳句が有効だと強く印象づけられたのだ。

具体的には、この日に書いた句で。
http://d.hatena.ne.jp/yamodoki/20140609/p1
これは今になってみると季重なりでひでェもんなんだけど、私にとってはその日のことを湿度を伴って思い起こす「よすが」になるものなのだ。
この時の小旅行は私にとっては大切な経験だった。だから、それをひっぱりだせる「タグ」として俳句を書いておいてよかったと思う。
その経験があるから、全然書けない日々が続いても、俳句を諦めないでいられる。

今のところそんなん。だけど、これもいつまでもつかな、ということもひしひしと感じている。

今日のハイク

http://h.hatena.ne.jp/yamodoki/?date=2017-01-25
俳句と画像。俳句原理主義