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俺と雪

「雪」と「閉じ込める」のあまりに強い親和性について書いておきます。これは大変個人的なことですが、もしかすると雪が沢山降るところに住んだことがある人には共有できる考えかもしれません。
まず物理的に「冬期孤立集落」というところがあります(私はそういうところに住んだことはありません)。近年は殆ど解消されたと思います(それは除雪車が行き渡ったということでもあるし、廃村が増えたということかもしれないです)。ただ、除雪が滞ると一時的には孤立するところはまだあるし、「簡単には行き来できない」という意味では、まだまだ困難な場所はあるのだと思います。
次に、こちらが私の主題ですが、精神的なものです。
雪が多い地域に暮らす人々のメンタリティの底に拡がるものは何か。それは「備える」ということだというのが私の考えです。
雪吊りをすること。雪囲いをすること。車のタイヤを履き替えること。
翌朝に雪が予想される場合それに備えていることは当然で、雪による交通の乱れやスリップ、足回りの悪さなどを理由にする遅刻に対して人々は非情に厳しい。
心のどこかに雪が降ったらどうするかのシミュレートが通続して存在する。買い物ひとつするにしても「この靴かわいいけど、雪が降ったら履けないな」とか。
豪雪地帯の自治体は除雪予算が膨大です(国の補助があります。そのことがもたらすあれこれについてはとてもここでは書ききれない)。
色々変わってきたことはあります。雪が降るのはしかたないんだから、それを観光資源にしていこうという動きは日本中にたくさんあります。しかしそれもまた「備える」ということに変わりはないのではありますまいか。
その多くは淡々と行われています。あまりに日常的に。それでもやはり伴う憂鬱は拭いきれないのではないか。ことによるとそれが憂鬱であるという自覚が無いままに。
いつもどこかで雪に足を引っ張られてる感じ。これは精神的に雪に「閉じ込められている」ということなのではないか。そんなことをもう十何年ずっと思っているのです。
日本海側は通年して曇天が多いですが、雪が降る期間はまさに頭の上から雲で押さえつけられているような「閉じ込められ感」があるのじゃないか。低気圧による頭痛。冬期抑鬱。そんなものも絡んできて。
私はこんなことを書いてますけど、そこまで豪雪地帯に住んだことはないですし、今も市街地で暮らして雪にはさほど悩まされていないのです。でもこの仮説が頭から離れない*1

今日のハイク

http://h.hatena.ne.jp/yamodoki/?date=2017-02-12
俳句についてのやりとり

*1:むしろ中途半端に雪が降るところにいたからこそ考えることなのかもしれないが。