もど記

はてなダイアリーとはてなハイクの後継

ライフログのこと

ライフログはてなハイク

十代のころから、日記が長く続かない。書くことは(上手下手は別として)嫌いではないし、特定の時期に集中して書いていたことは何回もあるのだが、生涯を通じたものにはできなかった。ぶちぶちとちぎれた、断片的な記録なのだ。


ライフログ」という言葉を初めて聞いたのはいつ頃だっただろう。ブログというものが出てきたころと同じぐらいだったのかどうなのか。
ブログという仕組みが注目されるようになったのは9.11の後で、日本で盛んになったのはもうちょっと後だったように思う。この辺曖昧な記憶でてけとーなことを書いてる。ぼんやりした印象。
いわゆる典型的な「ブログ」という形式が固まるより前からCGIを使った日記サービスはいくつもあったし、個人のウェブサイトで日記やそれに類するものを書いている人もたくさんいた。写真を保存できるサービスも含めて、それらは無料で使えるものも多かったから気軽に始められたと思う。
何が言いたいかというと、10年以上ブログ等を書き続けている人も大勢いるんだろうなあ、ということだ。長く続いているサービスもあるし、使っているところが閉鎖してもログを移して別の場所で継続することもできる。自分でサーバを確保することもできるだろう。
どんなものでも10年を越えて続けば相当なもので、ひとまとまりの成果と呼べると思う。
なんせか、インターネットというものも「歴史」と呼ばれるものに組み込まれる時代に入ったのだな、と思った。

一方で、ライフログのようなものを(技術に詳しいわけではない一般の人が)安定して保存しておける仕組みはまだ十分に確立しているとは言えないのではないだろうか。無料のサービスはもちろん、お金を払っていたとしてもサービスが終了することはある。自分でログを取っておくことが基本なのだとは思うが、それが困難な場合もあると思う。モバイルデバイスを主流に使う人が多くなっている現状ではなおさらである。簡単に使えて、素人が安心して記録を預け続けられるような仕組みは、商売にすることがなかなか難しいのだろうか、と想像したりもする。
ライフログという観念を知った時はなるほどなと思う程度だったが、歳を取ってくるとそれは私個人にとって大事なものなのかもしれないなと考えが変わってきた。記録するという意識すら希薄なままに生活に組み込まれたシステム、そのようなものがないと私のような継続して何かをすることが困難な人間にはなかなか記録を残せないし、そのような人間だからこそライフログがあるといいんじゃないだろうか。
はてなハイクの様式は私がライフログを続けていくのにわりと合ったものだったのかもしれないなと思ってる。この先何かいい仕組みがないか考えていきたい。
今はモバイルデバイスと連携して、心拍数や血圧などを常にチェックすることができたり、カメラを組み込めば見たものを全て動画として記録できたり、まさに意識しないでライフログを取っていけるような仕組みもあるらしい。私はまだそこまではちょと抵抗があるかな。続けられないながらも「書きつける」ことになにかしらの執着があるようだ。
ログを取る仕組みは次々と新しいものが生まれているようだが、それを残し続けること(場合によっては公開し続けること)はまだまだ不安定というのが現状なのかなと思う。
インターネットが一般市民に使えるものになってからまだ20年ちょいくらい。この先30年。50年、100年と記録を残していけるかどうか。そういう観点は技術の始まりにはあまり想定されてなかったのかもしれない。

結局紙のノートに書き溜めるのが一番確実ということになるのかもしれないし(最強は石に刻むことだろうけど)、ライフログはネットを使うやり方に限定したものでもないだろう。ともかくも、人生の終盤に入っていくにあたって、このぼろぼろこぼれていく記憶をなんとか補完する方策を考えていかなければいかんなあ、ちうところである。

今日のtoot

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