もど記

はてなダイアリーとはてなハイクの後継

老いと感覚と思考について書いていきたいなあということを書きました。

プロフィールにちらっと書いたんですけど、ずっと私のテーマは「老い」なんだなあと思ってて、それについてもっと書けたらいいなあと思ってます。なんかもっとこう、雑に書き散らしたい、オバハン文体満載で。


年をとってきて思うようになったのは「感覚器官の性能は認知に影響し認知は思考に影響する」っていうことです。
性能と書くと「よい/わるい」という一方向に評価することようだが、私としてはそういうつもりはなく、人によって・状況によって感覚の取り込みは違う働きをしているよね、ということを、ちょっと今適切な言葉を思いつかないので仮に性能といっております。
今ここの空の色も鳥の声も、あなたと私がまったく同じに感じているわけではないよねっていう、そういう感じのことです。
もっともらしいことを書き始めたようにみせかけて、言いたいことは「年取って耳とか目とか鼻とか弱ってきたわー、そしたらそれはその感覚レヴェルにとどまらずに、ものの考え方に影響してる気がするぜ」っていうことです。
加えて思考をする脳そのものも衰えてきてる。感覚器官と脳の合わせ技で、私はどんどん変わっていってる。これが!これこそが!「老い」であるなという実感を日々感じているのです。
個人の感覚の話とはいえ、完全にいい加減なことを言ってるつもりもなくて、「聴覚と認知症の相関」などはだいぶ研究結果がでてきて相当確からしいじゃないですか、それが実体験として納得できる感じなんですよね。この私の体感していることには科学的な裏付けもあるし普遍性もあるという直感がある。
多分専門家からみたら「何を今さら」なことかもしれんけど、ほら、老いって体感しないとわかんないからさあ。
例えば「年取ったら足腰弱って辛いわよ」って先輩方がずっと言ってきたことで、私も同じことしようとしてるんだけど、後から来るひとに教えてあげたいっていうよりは、私自身のために喋ったり書いたりしたいんですよ、老いの実態を。言葉にしないとあっという間に雲散霧消してしまうようなわずかな感覚、それからそもそも考えたり書いたりする能力がぐんぐん減っていくからできるうちに、不十分でもやったほうがええな、と思います。
初出:
misskey.soda-net.com

今日のtoot
  • 徹子の部屋』に出演した後藤久美子の評判が良いのをきいてTVerで観てみたら、ほんとに素敵な人で。老眼鏡の話など趣深いことでした。ついでに観た大場久美子の60過ぎも驚異的。