もど記

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今日のtoot

私はこの記事のカニの写真が心に残ります。
背景では冷蔵庫が倒れており激しい揺れを物語っています。それなのに、あれだけの揺れの中にあって、茹で上がったばかりだったであろうカニが皿の中にチーンと座って卓の上に残ったままなのです。行儀よく腕を畳んだ美しい盛り付けで正面を向いて。お正月にカニを丸っと食べるなんて、まさに能登という感じがするではありませんか。非現実的な現実とか確かにそこにあった生活とかあまりの苦境を突き抜けたある種のおかしみみたいなものとかいろんなものが一挙に押し寄せて渦を巻くのです。
この家は揺れの後に津波の浸水もあったと。ほんとうに、災害がもたらす光景は土地の相貌によって様々ですね。奥能登に甚大な被害をもたらしたこの災害の象徴のひとつとして私はこのカニを心に刻むことになりそうです。
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渦中にいる

ここまでの人生の中で、私にとって「それまでと何かが決定的に変わってしまう出来事」というのがいくつかあって、そのひとつが阪神淡路大震災だったと思います(直接被災はしていません)。もう取り返せない、それが起こらなかった頃の世界はもうない。そういう思いをもったのは、それが初めてだったように思います。同じ年のサリン事件とあわせてより大きな衝撃になりました。私の記憶の中で世界がそれ以前とそれ以後にはっきりと分かれる出来事です。
1月2日の朝、輪島上空からの映像をみて「あの時とそっくりだ」と思いました。おそらく多くの人が私と同じことを思ったことでしょう。
今はまさに災害の渦中にあるわけですけど、1995.1.17からあと色んなことがあって、その都度私の世界に線がひかれていきましたけど、ほんとのところはあれからずっと「渦中」にいるんじゃないかと思うことがあります。忘れていられる時間がいくらかあるというだけで(それは生きていくのに必要で大切なことです)。
現実があまりに受け入れ難いときに、「これは悪い夢なんじゃないか」と思い込みたくなることがあります。でも、世界は元には戻らないのですよね。
踏ん張りましょう。踏ん張って生きていきましょう。

今日のtoot
  • 激しい揺れによって上下水道がずたずたなんだ。これはいますぐには直せない。何もかもが不足しているのだが、ここが最も健康に直結するところだと私は思う。水と排泄。管が繋がるまではそこを離れて避難する決断が必要かもしれない。移住ということではなく。遠隔地避難所というか。管の修復は何年もかかるというものではないと思う、わかんないけど月単位ではないか。一旦離れて健康を保てるようにしながら上下水道の復旧を待つ。そこを支援することはできるんじゃないか。短期と中期の間くらいの期間の避難。富山県の氷見でさえ一部とはいえ上下水道が復旧できない。元々この分野はずっと人手不足と設備の老朽化の問題を抱えていたところだとローカルニュースで業者が語っていた。
  • というところで、この問題は今回のこのエリアだけのものではないと思いませんかね。半島という地形だとか過疎地だということもこの件に限っては大きな要因ではない。激しい揺れで管がずたずたに割れるってのはどこでもありうるわけで、その範囲はどのくらいの広さか、そのエリアに何人住んでるか。それらを考え併せてどこに1.5次-2次避難所をつくるか、その判断のタイミングは。都市部こそ大きな課題かもしれません。そんなぎょうさんの人のうんこどうすんの。今目の前の困難を助けながら学ぶことは可能だと思うんですよね。